2015年08月15日
母の最期の贈り物・・・看取りでの学び

現在、仕事で看取りの調査を行っていることもあり、最近”看取り”の文字をよく目にします。

私が「旅立ちのサロン」を企画した頃、今から8年程前でしょうか。そんなに昔のことではないけれど、当時は「え”~~~旅立ち?」「死ぬための準備?」「縁起でもない!」と色々ご意見をいただきましたが、最近では、「終活」「エンディング」「尊厳死」などタブーとされていたキーワードが飛び交うようになりました。「看取り」もその1つではないでしょうか。

看取りの定義は色々あると思いますが、死の瞬間だけが看取りではないと私は思っています。
終末期にある本人の意思と権利を尊重し、尊厳を保つと共に、
安らかな死を迎えるための一連のプロセスが看取りではないかと思っています。

母の終末期は、今思えば急性期病院に入院をした昨年末だったのかもしれません。その段階では、本人も我々家族も、そのうちに家に帰れると信じていました。
しかし、長年患った間質性肺炎は想像以上に悪化していたようです。

母の終末期を振り返ると、数々の心残りがあります。
母が亡くなり、導かれたように現在の、看取り・グリーフケアの調査研究の事業がスタートしました。
すると、多くの気づきはもちろんですが、新たな発見、意外な事実を知り得ました。

「死は特別なものではない」と頭ではわかっているものの、目の前の病人に対して「私には何もできない!!」と決めつけ、弱まるバイタルサインを見ながら「先生なんとかしてください!!」と懇願していました。
でも、それは間違っていました。寧ろ逆です。

母の場合は、本人が延命を希望せず、緩和ケアを望みました。
(以前、インフォームドコンセントで記しました)
医師は、母ができるだけ苦しまないように、痛みがないようにケアをしてくれていたのです。
看取りの場面では、私たち家族にしかできないことが沢山あったのです。
母の好きだった話しを聞かせること、限られた空間ではあるが、母の好みに演出すること、足を摩ること、髪を梳かすこと、手をにぎること、最後まで声をかけること、最後に母に着てもらうお気に入りの服を用意すること・・・
これらは、医療、看護、介護の知識は要りません。
必要なのは「五感」だけです。
もちろん、我々家族は無意識これらをやっていましたが、事前に「これでいいんだね」という知識があったら、もっともっと色々色々やってあげられたかもしれない。
もしかしたら、後悔の念も緩和したかもしれない。

戦後70年、先人たちの努力のお陰で私たちは平和と安全を得ることができました。
また、社会環境の変化等もあり、人の死を経験することも少なくなりました。普通だった家での看取りを体験する機会もありません。
だからこそ、【誰もができること】を知ることが私たちには必要な気がします。
五感を使ったセルフケアも、その一環ではないでしょうか。

私は、母の終末期を通して、ますます「自助・セルフケア」の重要性を感じています。

お母さん、ありがとう。

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